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<title>時のかさなり (新潮クレスト・ブックス)</title>
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<title>見知らぬ場所 (新潮クレスト・ブックス)</title>
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 短編集「停電の夜に (新潮文庫)」、そして長編「その名にちなんで (新潮クレスト・ブックス)」に続く、ジュンパ・ラヒリの最新作です。短編と連作中篇を集めた一冊で、今年（2007年）7月にフランク...</description>
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 短編集「停電の夜に (新潮文庫)」、そして長編「その名にちなんで (新潮クレスト・ブックス)」に続く、ジュンパ・ラヒリの最新作です。短編と連作中篇を集めた一冊で、今年（2007年）7月にフランク・オコナー賞を受賞したとのこと。
 ジュンパ・ラヒリの作品は間違いない。そして継続して翻訳を担当してきた小川高義氏の筆遣いも間違いない。私のそうした期待と信頼を全く裏切らない仕上がり具合に、大いに満足しました。

 ラヒリの作品ですからもちろん主人公の大半はベンガル系インド人のアメリカ移民二世となります。しかし、本書所収の最初の作品で表題作でもある「見知らぬ場所」は、その「ベンガル系インド人のアメカ移民二世」の物語であることをことさら感じさせることなく読者をすっと物語世界へいざなっていきます。
 妻を亡くした老父をひとり東海岸の街に残し、今は夫と子どもとともに西海岸の街に暮らす娘。核家族や世代間格差、高齢化社会、そして老親の再婚と、舞台が日本であってもさほど違和感のないテーマが散りばめられ、それを小川氏の巧みな翻訳の力によって日本語で読むことが可能になって、この作品は読者の前に普遍的な現代の物語として立ち現れてくるのです。

 本書所収の物語たちが共通して持つのは、些細で平凡に見える人生に潜む小さな秘密です。
 学校教育を経て社会に独り立ちした人間は、そこで初めて線路の敷かれていない人生を切り拓いていくことになります。教科書も参考書もない人生という海をどう泳いでいくか。
 海原で人間が抱えるウソや隠し事は、時に浮き輪の役目を果たすこともあれば、重石となってしまうこともあります。
 そんなウソや隠し事の割り切れない苦くも甘い味を、ラヒリの紡ぐ物語はたまらないほど見事に提示して見せてくれるのです。心がざわつかずにはいられません。

 次回作が一日も早く読みたい。
 ジュンパ･ラヒリは、今わたしに一番そう思わせる作家です。
彼女の作品を毎回心待ちにし、最新作の本著も原書で読みました。発売後、すぐにハードカバーで読みました。
大半が過去のニューヨーカー誌に掲載されていたから「読み返し」が多かったけれど、やっぱり彼女の創り出す独特の空気、言葉の並び、息遣い、全てが期待通り。
本作最後に収録されている作品は、特に印象的なラスト！

しかし前作とても良かった小川氏の翻訳にがっかり。前作はこれがそのまま日本語で書かれたのかと思う位、目にも心の耳にも馴染む翻訳だった。
しかし本著はどうだろう？

特にこの「がっかり」は物語の後半、つまりJhumpaが最もその作品に特別な息を吹きかけている（私は少なくともそう思います）部分で、ずっこけるというか、日本語がスムースに流れてゆかず、とても「つまづきながらラストシーンだ」という感じが否めません。

原書で読むのとは雲泥の差です。本当に彼女の作品が好きなら、絶対原書を読んでください。
私は翻訳版ではJhumpaの良さの半分も「感じられない」と思います。確かに翻訳だと、英語が読めなくても、「読めます」が、彼女の作品をしっかり感じることは出来ません。ジュンパ・ラヒリはやはり短編（訳者によると中篇）の名手です。
「停電の夜に」でこの作家に魅了され、次の「その名にちなんで」も読みましたが、この三作目を読み終えた今、やはり短編が素晴らしい！と思います。

彼女の作品の登場人物は大抵がベンガル人で、コルカタからアメリカに移住した家族。マサチューセッツに住む知的階級の人々。そのパターンは一作目から変わらないけれど、今回は異文化の中で葛藤する第一世代から、アメリカ育ちの第二世代の物語に移っている。強い絆で結ばれていた若い家族が、年を経てそれぞれの世界を持ち、あるいはこの世を去り、互いに存在が希薄になっていく。家族とは人生の通過点にあって永遠ではない。どの家族にもある日常から心のひだを描き出す。ジュンパ・ラヒリのさらに成熟した世界に浸り、読み終えるのが惜しいと思う。

後半の「ヘーマとカウシク」は連作となっている。
幼なじみの二人が再会する「一生に一度」。母を失ったカウシクの物語の「年の暮れ」。そしてローマでの偶然の再会からふたりが恋人となり別れる「陸地へ」。
偶然の出会いと言い結末と言い、下手をするとお手軽になりがちなところだが、その静かで知的な語り口で違和感はない。「年の暮れ」の中でカウシクの母を恋う心が切なくて泣けた。長い間待ったこの三作目。期待通りの出来に満足しています。
最後に、翻訳である事を忘れさせるような小川高義氏の訳も良かったと思う。
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<title>記憶に残っていること (新潮クレスト・ブックス 短篇小説ベスト・コレクション)</title>
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<description>新潮クレストブックスが十年間に刊行した短編集のなかから、堀江敏幸が選んだ十篇が収められている。
もともと、短編に豊かな実りの多いクレストブックスの中から、短編の名手が十篇を選びぬくというのだから、面...</description>
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新潮クレストブックスが十年間に刊行した短編集のなかから、堀江敏幸が選んだ十篇が収められている。
もともと、短編に豊かな実りの多いクレストブックスの中から、短編の名手が十篇を選びぬくというのだから、面白くないはずがない。
デザート盛り合わせ、いやいや、塩味も辛味も、苦味もあるからデギュスタシオンのような、ぜいたくなひと皿。
アリステア・マクラウドも、ジュンパ・ラヒリも、アンソニー・ドーアも、イーユン・リーも、みんな一冊の中に収まっているなんて夢のようだ。
世界の名人たちの作品には、それぞれ長編なみの深みと味わいがあり、ひとつ読み終えるごとに深い満足を得られる。

堀江氏の解説「人はなにかを失わずになにかを得ることはきない」の最後の一行を読み終えたところで、これはデギュスタシオン、テイスティングなどではなく、世界最高峰のフルコースだったのだなあ、と気づく仕掛けになっている。
手もとにおいて、節目ごとに読み返したい一冊。

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<title>北村薫の創作表現講義―あなたを読、わたしを書く (新潮選書)</title>
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<description> 大学での講義からの抜粋という形だが、聴講した学生が羨ましくなる内容だ。もともとが話し言葉であるだけに、ひとり突っ込みや、話の脱線、学生とのコール・アンド・レスポンスなどライブ感に溢れているのも楽し...</description>
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 大学での講義からの抜粋という形だが、聴講した学生が羨ましくなる内容だ。もともとが話し言葉であるだけに、ひとり突っ込みや、話の脱線、学生とのコール・アンド・レスポンスなどライブ感に溢れているのも楽しい。  この面白さは、@興味の対象と講義の内容が合致している、A座学だけではなく演習が混じっている、Bフィードバックがある、C現役の作家に対する興味、で構成されていると思う。
 @は大学の授業だと当たり前のようだが、実際には基礎や一般教養などで必須科目だから受講する場合も多いと思う。Aは耳学問だけの頭でっかちを防ぐ意味でも重要だ、Bは参加意識や、個人的なモチベーションの向上に不可欠、Cは世俗的な興味で、このスパイスにより単調になりがちな講義にアクセントが加わると思う。
 このように講義の好例としての意義も深いのだが、一番の収穫は読解や創作の解答に幅を認めているところではないかと思う。これは受験時代とは大きく異なるところだ。
 最後の第17章はそれまでとやや趣が異なる。しかし「分かるということ」とその悲劇、そして「読むことが書くことと表裏一体の表現である」という結びは感銘すら覚える結びである。

 2005年と06年に早稲田大学で北村薫が受け持った「表現の授業」の一部を活字化したものです。
 新潮社や講談社の編集者や、歌人・天野慶を招くなど、北村薫ならではの創意工夫を凝らした授業が記されています。

 編集者の業界裏話は本好きの読者にはたまらない面白さを伴っていますし、朗読家である北原久仁香を招いた講義部分の脚注に北村薫の短編集「1950年のバックトス」所収の「林檎の香」の裏話が書かれているのを見つけるのは、北村ファンにはこれまたたまらない読書体験といえます。

 そしてなによりも、心が添うのは次の二つの言葉です。
 ひとつは89頁で綴られている、
 「様々な解釈は作品の中に隠れてい」て、「だからこそ、読むということが、ひとつの創作になるわけ」であり、
 もうひとつは、ずっとくだって314頁の、
 「読むというのは、自分がどういうところに立っているか----自分の位置を示す行為に外な」らない、です。

 小中そして高校と、おそらく私たちのほとんどは読書とはあるひとつの考えを読み解く作業であると考えるように馴致（じゅんち）されるのではないでしょうか。しかし、読み解いた末に見えてくるものは読み手の数だけあるということを胸を張って言えるときに、はじめて読書は無上の喜びとなることを私自身も知りました。学校を離れた途端に読書が楽しくなった覚えのある身には、上に引用した二つはとても親近感のわく言葉に感じられるはずです。
本書は人作家北村薫の早稲田での文章講義が纏められた一冊。

文章を書くという視点だけではなく、読むという視点からも講義を説く。

文章表現というとついテクニック論になりがちである。
しかし本書では文章に対する感性が重要だということを説いている。
書き手としても一流ならば読み手としても一流である著者の
テキストへの感性の素晴らしさが読み取れて、
改めて文章の面白さ。それを追求したくなる。みなさんは「守・破・離（しゅはり）」という心得を知っているでしょうか？
武道を志した人なら耳にした事があるでしょう…
いや武道に限らず、茶道、華道など「道」とつくものすべてにおいて言える心得

簡単に言ってしまえば
・守（修）→師について型どうりにすべてを学ぶこと
・破→その型（流派など）を自らの修行で破りさらに心と体を発展させること
・離→守や離を意識せず独自の新境地を生み出すこと

何故こんな事を思い出したかと言うと
この本の中で北村さんと、ある雑誌の編集者の話（講義）の中に
「真・善・美」という言葉が出てきたからなのです

この本はわたしも大好きなミステリ作家である北村薫さんが
実際に早稲田大学文学部で講義をされた内容の一部を
活字化したものであって小説ではないのです

書きたい事を見つけ、想像して創造する…
そんな講義から始まり
歌人を招き、生徒達に質問させそれを各自でコラムにしたり
実際に編集をされているプロの方から話を聞いたり
小説にとどまらず、多くの創作表現方法を語られています

講義の中に出てくる人物も本当に多種多様…
ハムレットもあれば万葉集もあり
サトエリ（佐藤江梨子）もあれば写真家のウメカヨさんもあり
NANAもあってヒカルの碁もある

わたしはそんな北村薫さんに
「守・破・離」を感じたのです
この方は本当に「離」を極めた方だと…

そして「真・善・美」…
これは文芸作品とエンターテインメント小説の境界のあいまいな部分で
編集者の方が、この３つをすべて否定してしまったら
エンターテインメント小説として成り立たないという話の流れで出た言葉
…
わたしはひどく共感してしまいました

もともと講義を収録した本
本当は「勉強になりました」と言うべきなのでしょうが
わたしはとても面白く読み終わりました
レビューなど書くのはおこがましいのです
北村先生…
わたしは小説を書くには
まだまだ修行が足りないようです
起立！
礼！
ありがとうございました！ 
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<title>冬の犬 (新潮クレスト・ブックス)</title>
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<description>アリステスさんはかなりの寡作な方で３１年で１６篇の短編と１つの長編を出しているだけだそうです。

短編の舞台はほとんどどれも、カナダにある小さな島を舞台にしています。そしてそこに息づく自然と人間と動...</description>
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アリステスさんはかなりの寡作な方で３１年で１６篇の短編と１つの長編を出しているだけだそうです。

短編の舞台はほとんどどれも、カナダにある小さな島を舞台にしています。そしてそこに息づく自然と人間と動物、そして起源である先祖のハイランダー、スコットランドについてと、その言葉であるゲール語に重みを置いた小説です。「島」はアリステスさんの中でも完成度が高い短編だと思いますし、好きな話しです。北国の寒い環境と人間の業のようなものと歴史と起源などを織り交ぜた静かだけれど激しい（矛盾した表現なのですが、私にとってはまさに静かだけれど激しいとしか表現しようのない）素晴らしい小説でした。 何故か私にはガルシア=マルケスが思い出されるほどスケールが大きく（もちろん良い意味で）、れでいて小さなささやかなものにも温かみのあるまなざしを向けられているレイモンド・カーヴァーのような（もちろん良い意味です）愛着も感じられるのです。そして人間ではない生き物がどの短編にも重要な役割を与えられていて、動物好きな方にもオススメです。短編好きな方には是非。 


好きな作品は表題作子供の頃の犬との思い出がよみがえる「冬の犬」、男と大きな灰色の犬をめぐる伝説「鳥が太陽を運んでくるように」、子供の頃に聞いた話しが不思議な重なりと光を当てられる「幻影」、燈台守としての一生を送ることの物語「島」です。 


しかし中でも私個人が最も気になった、皮膚的にショックな作品は「完璧なる調和」です。無骨で不器用な男の孤独、それも手に入れた幸せを失ってからの孤独と、伝統と詩と歌声、それに関わる親戚とささやかな喜び。どの短編も非常に上手いですし、綺麗でスタイルもありますが、私にとってのこの「完全なる調和」は他のどの作品よりもずば抜けてよかったです。他の人がどう感じるかは分かりませんが、とてもショッキングな、忘れられない短編でした。 



短編小説が好きな方、動物が出てくる物語が好き方に、オススメ致します。 8月の東京で冷房もない自分の部屋で読んでいたのですが、読んでいる間はうだる暑さを忘れました。本のタイトルになっている『冬の犬』なんて、まるっきり厳寒の中でのお話で、背筋が寒くなります。短編集で犬をはじめ、羊、牛、馬といろいろな動物が出てくるのですが、まるでにおいをかげるほど近くにいるような感覚にとらわれるくらい、著者は彼らの生態を絶妙に描き出しています。人の行動も含めて描写が生々しいのですが、読み終えると何かおとぎ話を読んだ後のようで、とても不思議な印象を持っています。「赤毛のアンブーム」で観光客が増える前の、カナダ沿岸部。生き生きとして、みずみずしい描写だけれど、単なる、美しい自然への礼賛ではなくて、そこに暮らす人々に試練を与える過酷な環境。その厳しい寒さや孤独を舞台の上でリアルに描かれる、人間と、動物たちの生と性。大人も子供も、当たり前のように命と向かいあって生きている、と紹介すると、文体やストーリーは無骨なイメージを持たれるかもしれませんが、実に洗練された、趣味のよい世界です。前作に続いて今回も良かった。ってこの作者の書くものを悪く言う人はいませんから、あらためて言うことでもないんですけどね。しかし、いい！マクラウドの描く世界は哀切に満ちて、叙情にあふれている。自然の厳しさ、家族の温かさ、時代の移り変わり、そして故郷を追われた流浪の民としての悲哀。ただ、そこで暮らしている人達を描いただけなのになぜこれほどドラマティックなんだろうと歯噛みしてしまいます。朴訥で、頑固で、しかし情にあつく毎日を必死で生きている人達。我々が知ることのないもうひとつの世界。すぐそこにあるのに、あまりにも遠いその世界が厳しさを押しのけて、とてもうらやましく思えてきます。得がたい本ですね。ほんと宝物だ。とても静かなんですが、その静けさの中に激しい真実が垣間見えるっていうのかなぁ、なんかつくづくぼくは心配の少ない平穏な日常に埋没してるなぁと感じました。地球上には色んな場所があり、おんなじ家族を描くにしてもこれほどの隔たりがあるのかと。生と死のイメージがあまりにも頻繁にあらわれ、だからこそ生命への力強いメッセージがびんびん伝わってきました。いつも灰色の雲に覆われて、ことあるごとに風雨にさらされている情景は、陰鬱で冷たい世界を象徴しています。でも、その中で毎日を真剣に生きている真っ当な人々のあまりにも厳しい生活が浮きぼりにされ、力強い生命力が強調されてるんですよね。 この作品で描かれる家族は、ほとんどが子の目を通して見る親や祖父母の姿なんですよね。そういったものは、世界共通だからとても身近で一種の郷愁にも似たせつなさを呼び起こします。普遍的だといわれる所以でしょう。余韻が残るのはそのせいでしょうね。 でも生活や風習はまったく違う。ぼくはこの本を読んでラテンアメリカに通じるマジックリアリズムの匂いも感じました。独自の文化が目新しく、そういった意味でもとても魅力的です。 あまりにも身近な自然の脅威。その中で身につけて代々伝えられてきた風習、独自の文化。こういった世界が今生活している我々とはあまりにもかけ離れているため、新鮮な驚きを感じます
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<title>謎とき『カラマーゾフの兄弟』 (新潮選書)</title>
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かくいう私も、何とかストーリーだけは...</description>
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名作と言われている、「カラマーゾフの兄弟」ですが、ロシアの文化背景や、キリスト教に関する基礎知識が無いと、ストーリーは追えても、著者の意図した解釈はできません。
かくいう私も、何とかストーリーだけは追いかけて読み終わったわけですが、この状態では消化不良も甚だしく、こころに残る悶々とした気分は収まりませんでした。

その時に本書を知り読みましたが、私が字面だけを追っていた部分にこれだけの深遠な意図、仕掛け、理由があったのかと驚愕の連続でした。
カラマーゾフと言う名前に隠された秘密、3と言う数字の繰り返し、ユダとスメルジャコフとの関連性などなど、「本当に著者はここまでの事を狙って書いたのだろうか？」と感じると共に、そこまでの緻密な計算がなされた小説への畏敬の念が湧き上がって来ます。

本書を読むと、もう一度この名作を読み返し、内容を噛みしめたくなる事でしょう。でも本書の助け無しには、名作の名作たる部分を正しく理解する事は出来なかったと思います。前作「謎とき「罪と罰」」で読者に衝撃を与えた著者が、今回は「カラマーゾフの兄弟」の謎解きに挑んだもの。「カラマーゾフの兄弟」は個人的に世界最高峰の文学作品と考えているだけに興味津々で本書を手に取ったが、やはり衝撃の連続であった。

まず、「カラマーゾフ」という名前の分析から始まり、の意だとする。父フョードルとドミートリイだけなら納得するが、神の子アリョーシャを含む一族全員に当てはまると聞いて驚く。更に「カラ=黒」、「マーゾフ=塗る」として「黒く塗る」の意と解する。私は、Rolling Stonesの「Paint It Black」を想い出してしまった。アリョーシャは"黒いキリスト"だと言うのだ。ドストエフスキー自身、ロシア正教の信者だったにも関らず、アリョーシャの師ゾシマ長老がカトリックだった謎も解き明かす。

また、作品中で重要な役割を果たすスメルジャコフが去勢派の信徒で、アリョーシャとの対比で"白いキリスト"だった事を説明する。そして、スメルジャコフによるフョードル殺しが、まさに殉教行為だった事を示す。また、そのスメルジャコフを精神的に支配していたと思われたイワンとの関係が最後で逆転するが、これが当時のロシアの社会状況の反映という指摘も鋭い。黙示録との関係で作中で3と13という数字に拘る謎解きも爽快。結末でアリョーシャが12人の少年使徒を集め演説するシーンが、キリストと12人の使徒の投影で、書かれる筈だった次作の新教団組織の母体になるという指摘にも唸らされる。

著者の博識と執念に驚くと共に、改めて「カラマーゾフの兄弟」の偉大さを感じた。謎とき第二弾。「カラマーゾフの兄弟」を読んで、興奮し、もっとこの作品の魅力に浸りたいと思い、この「謎とき」にその期待を寄せた私を、江川氏は裏切らなかった。「カラマーゾフの兄弟」を読む、ドスト氏の作品を読む、そして少しでもその面白さを体感した人に読んでいただきたい。きっと、もっと好きになるでしょう。 個人的に世界最高の小説だと思っていた「カラマーゾフの兄弟」。しかし私は「謎ときカラマーゾフの兄弟」を読み、この小説の面白さを半分もわかっていなかったことを痛感させられた。 翻訳された日本語を読むだけでは、海外文学は完全には読み解けないのかもしれない。だが他国の言語を理解するのはそう容易なことではない。しかも英語ならばともかくロシア語なんて・・・ また「カラマーゾフの兄弟」にはキリスト教が密接にかかわってくる。日本には宗教的概念がほとんどないため理解できない個所、読みすごしてしまった個所も多々あった。 それを解決してくれたのがこの本書。例えばカラマーゾフとはどういう意味なのか？答えはこの本の中にある。 「カラマーゾフの兄弟」を読んだ事のある人ならば、この本を読んで絶対に後悔はしないだろう。ã??ã??ã??ã?¨ã??ã??ã??ã??æ-?å?¦ã?®æ??é??å?°ã??ã?ã?©ã??ã??ã??ã??ã?®å...?å??ã??ã?'æ±?å??å?"æ°?ã??é?"æ??ã?®ã??ã??ã?¢èª?ç??è??ã?§ã??è¬?è§£ã??ã??ã?'æ?'ã??ã??è?¿æ¬§ã?®å°?èª¬ã?¯ã??ã?©ã??ã??ã?ªã??ã??ã?£ã??ã?¯ã?ªèª?ã?¿æ-?ã??å¿...è¦?ã?§ã??ã??ã??æ-?ç??ã?®ç??ã?'è¿?ã??ã??ã??ã?ªè¡¨é?¢ç??ã?ªèª?ã?¿æ-?ã??ã?'ã?§ã?¯ã?ªã??ä?¿ç"¨ã??ã??ã??è¨?è'?ã??è¡¨ç??ã??ä??è?...ã??è¨-ã?-ã??ç??ã?®æ??å'?ã?'èª?ã?¿å?-ã??ã?ªã?'ã??ã?°ã??æ?¬å?"ã??å°?èª¬ã?'å'?ã??ã?£ã??ã?"ã?¨ã??ã?¯ã?ªã??ã?ªã??ã??ç??ã??ã??ã??ã?¢æ-?å?¦ã?¯ã??ã??ã?§ã??ã??ã??ã??ã??ã??ã?¨ã??ã??ã??ã??ã?¯ç??ä?£ã?®é??è¨?è?...ã?¨è¨?ã??ã??ã??ã??ã??æ?¬ä??å"?ã?¨ã??æ?ªé??ã??ã??ç??ã??è'-ã?-ã??ã??ä¸?å¿?ã??èª?ã??ã?°ã??ç??å¸?æ?-æ®ºã??ã??è¡?ã?®æ-?æ??æ-?äº?ä?¶ã??ã??ã??ã??ã?¢é?©å'?ã??ã?®ã??ã??ã?ªæ?'å??ç??äº?ä?¶ã??ã??ã??æ??ã??ã?¦ç??ä?£ç??ã?ªç??è±¡ã?§ã??ã??ã?ªã??ã??ã??ä¿¡ä?°å®-æ??ã?®ç??å?'ã??ã?§å...?å?-ã??ã??ã??ã?¦ã??ã??ã??ã??ã??ã?¿ã??ã??ã??ã??ã??ã?©ã??ã??ã??ã??ã?®å...?å??ã??ã??ä??è?...ã??è¨-ã?-ã??ã??ã?®ã?¯ã??ã??ã?¢èª?ã?'ç??ã??ã?ªã?'ã??ã?°èª?ã?¿å?-ã??ã?ªã??ã?®ã?§ã??ã??ã??ã??å?¸ã??æ!±?å??æ°?ã?®ã??ã??ã?'ã?§ã??ã?®ç§?å¯?ã?®ç??é±-ã?'æ-?æ?¬äººã?§ã??è§¦ã??ã??ã?"ã?¨ã??å?ºæ??ã??ã??ã??ã??ã?©ã??ã??ã??ã??ã?®å...?å??ã??ã?®èª?ã??æ-?ã?¯ã??ã??æ?¬æ?¸ã?'ã??ã?¡ã??ã?¿ã??ã??ã?¨ã?-ã?¦å?©ç"¨ã?-ã?¦é??ã??ã??ã??ã??
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<title>ペンギンの憂鬱 (新潮クレスト・ブックス)</title>
<link>http://35bookshop.bestbook-shop.com/detail/07/4105900412.html</link>
<dc:date>2008-12-02T02:46:27+09:00</dc:date>
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<description>私たちの生活は、たとえば南極の氷山のようなものらしい。
水面に出ている一角だけでは、水面下の様子はわからない。

冴えない小説家ヴィクトルの生活は、ペンギンの訪れが直接の原因ではないにしろ、なにかし...</description>
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私たちの生活は、たとえば南極の氷山のようなものらしい。
水面に出ている一角だけでは、水面下の様子はわからない。

冴えない小説家ヴィクトルの生活は、ペンギンの訪れが直接の原因ではないにしろ、なにかしらの引き金となって、気がつけばものの価値やら感覚やらがどうしようもないほどに変わってしまう。
別に急に世界が変わってしまったわけではなくて、水面下にはいつもあった知らない世界が、自分の日常に侵食してくるのだ。

家の鍵は破られる、大金と少女が置いていかれる、発砲事件が相次ぐ・・・
まるでへたくそな冗談のような世界が、つつましくも平穏だった日常をのっとっていく。
そこにまた、閑話休題といったようにペンギンの描写が入ってきて、いい感じに話の腰を折る。

なぜペンギンなのか。こればっかりはわからない。
緊迫した場面で、ペンギンがぺたぺたと歩いている光景を想像すると、なんだか気が抜けてがっくりとなる。

もろい世界の上に生活するのは、人間もペンギンも同じらしい。
温暖化の影響が出ないことを、切に祈る。ソ連崩壊後のウクライナの首都キエフでのお話。憂鬱症のペンギンと暮らす売れない小説家が、政財界の大物が死ぬ前に、「追悼記事」をあらかじめ書いておく仕事を依頼される。ホンワカした雰囲気ながら、不条理に満ちた長編小説です。「大統領の最後の恋」もお勧めです。  皇帝ペンギンのミーシャとふたり（？）で暮らしている売れない短編作家ヴィクトルの奇妙な半年間の体験。ミステリーのようでもあるしユーモア小説のようでもあり、とても不思議な味わい。全世界で大ヒットしたのだそうで、さもありなんと思わせる内容です。

 ソ連崩壊後のマフィアが暗躍し政治も不透明な時代のウクライナが舞台で、普通だったら暗鬱な話になりそうなものですが、なぜか全体に飄々とした空気が流れています。凍った湖でペンギンとピクニックする冬、長雨の続く早春、マロニエの花が咲く春といったキエフの四季の移り変わりもいきいきと描かれていて映画を見ているような気分になってきました。「売れない小説家とペンギン」
こんな取り合わせ自体が、ある意味反則。
とにかく冒頭からラストまで、魅力にあふれる小説だ。

主人公は、なんのためだかわからない原稿書きを依頼され、あまりよく知りもしない人の娘を預かり、そのベビーシッターに雇った女の子と、それとペンギンとの不思議な共同生活を送る。
その生活の描写は魅力的で、特にペンギンと女の子とのやりとりはほほえましい。

これだけでもこの小説の価値は十分じゃないかと思うのだが、その一方で主人公の知らないところで（読者にもよくわからない）奇妙な出来事が同時進行していく。
だが、ミステリアスではあるが、重苦しさはない。
従来のロシア文学のイメージとは、だいぶ違う。

ソ連崩壊後の先行き不透明な雰囲気の立ち込めるキエフと、無言で廊下をぺたぺたと徘徊するペンギンの取り合わせが、妙に印象的だ。ペンギンは憂鬱である
というより、この物語が憂鬱である。
かわいいカバーに騙されて買った人に不意打ちを与えるほど憂鬱である。

主人公ヴィクトルは生存している人間の「追悼記事」を書く。その依頼された仕事に隠された陰謀に気付きながら、漠然とした不穏な空気の中で「擬似家族」と暮らしている。主人公ヴィクトル、友達の娘のソーニャ、若い家政婦ニーナ、そしてペットのペンギンで構成される家族ごっこ。もちろん読んでいて微笑ましく思える場面も多いのだが、ただ彼らの日常には幸せは存在していないような気がする。ソ連崩壊後のウクライナという舞台も不穏な日常の背景となっている。
そして、それでもペンギンはかわいいのである。

「追悼記事」を書かれた人が次々と死んでいくというストーリーは、どうしても「デスノート」を想起させるが、実際に読んで受ける印象はだいぶ異なる。むしろ本書の訳者あとがきでも指摘されているように、村上春樹の雰囲気に似ているかもしれない。

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<title>謎とき『罪と罰』 (新潮選書)</title>
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<description>著者はロシア文学翻訳家として知られており、著者の訳でドストエフスキー他、ロシア文学に接した方も多いだろう。私の頃は米川正夫氏だった。その著者が「罪と罰」に仕掛けられた謎を究明するという探求本。その後...</description>
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著者はロシア文学翻訳家として知られており、著者の訳でドストエフスキー他、ロシア文学に接した方も多いだろう。私の頃は米川正夫氏だった。その著者が「罪と罰」に仕掛けられた謎を究明するという探求本。その後、「謎とき「カラマーゾフの兄弟」」も上梓している。

正直、一つの作品をここまで深読みできるとは思わなかった。ドストエフスキーの脳の構造が常人離れしており、作品に刻まれた圧倒的な心理描写、行動原理については少しは理解しているつもりだったが、ここまでとはね。著者は作品のテキストを読み込む事によって謎を少しづつ解明して行く。ラスコーリニコフの名前がアンチ・キリストに由来しているくらいなら、まあ少しの研究で分かるかもしれないし、読者が無意識に想定している事と合致する。それよりも被害者の家の敷居を「またぐ」という一般的単語が、「一般社会の倫理の境界を踏み越えて罪の世界に入り込む」という意味の単語から派生している点の指摘などは鋭いと思う。こうした指摘が随所にあり、文学を読む際、原語を理解する重要性を感じさせる。だからと言って、これからロシア語をマスターするのは困難なのだが...。そして、これは単に原語を理解するだけではなく、文学的な理解力も必要とされる作業なのだが。また、「聖なる娼婦」ソーニャは早い段階でラスコーリニコフと(娼婦として)肉体的関係を持ったのだが、作品の構想が大きく、また崇高になるに連れ、精神面だけが強調されているという指摘も、なるほどと思った。

通俗小説として読んでも面白く、原罪を背負った人々の魂の救済を描いたキリスト教的背景を持った小説として読んでも面白い「罪と罰」。そのような多重構造を持った小説を平易に解説してくれる貴重な道案内の学究本。著者自身が、「主人公への感情移入を過度に重視する従来の小説理解への反撥があった」（１２章）と言っているとおり、
『罪と罰』を、心理とか哲学とかの観点からよりも、ロシア語やロシア文化、キリスト教史といった観点から（やや重箱の隅をつつくように）解説しています。
その辺が本書『謎とき』の価値だと思います。
前者の観点での解説なら、シェストフや小林秀雄（他にもたくさん、山ほど出てるんだろうと思います）に任せればokだろうと思いますし。
ただ、帯にあるように「ドストエフスキーを愉しむために最初に手にすべき１冊」ではないかもしれない、です。

謎の中身ですが、たとえば、
■タイトルの「罪」が、ロシア語で、「グレーフ（神のおきてにそむく行為）」ではなくて、「プレストゥプレーニエ（人間の定めたおきて（法律や社会的規範）を『踰える』行為）」であること
■ラスコーリニコフのイニシャルが、実はアンチクリスト、悪魔を暗示していること
■ラスコーリニコフとソーニャが、実はあのときにコトに及んでいたこと
などなど、（少なくとも私にとっては）目から鱗の落ちる発見が続出でした。

蛇足ですが、ソフィーとマグダラのマリアを重ね合わせているところや、いわゆる「異教」を登場人物に見出しているところなど、はやりの『ダ・ヴィンチ・コード』にも通じるところがありました。（『謎とき『罪と罰』』の初出は、1983〜1985年です）まさか、ドスト氏が乗り移ったんですか？と、思ってしまうほど鋭く、濃い、読者を唸らせる視点で、江川氏は「罪と罰」を語っている。いや、彼自身が楽しみ、思う存分味わっている。さすがですな。ドスト氏が好きな方、もっと魅力に浸りたいという方、一度でも「罪と罰」を読んだことがある方、是非読んでください。江川氏が、より深き世界へ誘ってくれるでしょう。「罪と罰」は去年の私の読書生活の中では、大きな事件であった。いまさら、と言われるではあろうが、やはり名作は名作である、と再認識。ほとんど現代小説の傑作のように読み、今なお私を揺さぶりつづけている。その「罪と罰」を１冊丸ごと解説している本があるのだから、当然読まなくてはならない。しかも、私はたまたま岩波文庫で読んだのだが、その訳者の叙述だという。退屈だった。何度読むのを投げてしまおうかと思った事か。そりゃ確かにそういう読み方も可能かもしれない。ドストエフスキーは念密に登場人物の名前や、セリフの言いまわしに二重三重の意味を持たせていたのかもしれない。しかし私にとって重要なのは、ラスコーリニコフは最後には罪の意識を持ったのか、彼はその気持ちをどのように変化させていったのか、ポルフィーリが仕掛けた罠と彼が掴んでいたという動かぬ証拠とはなになのか。スヴィドリガイロフは本当に妻を殺したのか。そういういわば、小説の筋に沿った分析なのだ。しかしその事に半分もこの訳者は答えようとしていない。唯一凄いなあと思ったのは、ラスコーリニコフとソーニャが実はあの時点で結ばれていた、という事の証明なのではあるが、それは最後のほうにやっと出てくる。この本は最後の一章か二章ぐらいが一番面白かった。ã??ã??ã?¢æ-?å?¦ã?®æ¨©å¨?æ±?å??å?"æ°?ã?®ã??ç?ªã?¨ç?°ã??æ¡?å?...ã??å¤-å??ã?®å°?èª¬ã?'é?¦è¨?ã?§èª?ã??ã?¨ä?¡å?¤ã??å??æ¸?ã?-ã?¦ã?-ã??ã??ã?®ã?¯å?"ç?¶ã??ã??ã??ã??ã??ã?¢æ-?å?¦ã?§ã?¯ç??ã??ã??ã??ã?§ã??ã??ã??ã??ã??ã?¢ã?®æ-?å?¦è?...ã?¯ã??ã??ã?¢èª?ã?®ç??æ?§ã?'æ??å¤§é??ã??å?©ç"¨ã?-ã??ä??å"?ã?'æ?¸ã??ã??èª?å'?å??ã??ã??ã??ã?¢ã?¬ã?'ã?ªã??ã?'é§?ä?¿ã?-ã??è?-æ?¸ã??å?¤å...¸ã?®ã?'ã??ã??ã?£ã??ã?'å??ã??ã??ã??æ"¿æ??ã??æ??æ??ç??ä¸?å??ã?'å°?èª¬ã??æ??ã??è??ã??ã??ã??ã??ã?"ã??ã?¯é??ã??é-"å¸?æ"¿æ??ã??æ¤?é-?å?¶åº¦ã??å??ã?-ã??ã?£ã??ã??ã??ã?§ã??ã??ã??ã??ã??ã??ã??ã?¢äººã?®è¨?èª?æ??è¦?ã??é??åº¦ã??ç?"ã??æ??ã??ã??ã??ã?¦ã??ã??ç??æ??ã?§ã??ã??ã??ã??æ??ã??äººå?£ã??è??ç??ã??ã??ã??ç?ªã?¨ç?°ã??ã??ã?-ã?¦ã??ã??é?¦è¨?ã??ã?®ã??ã??èª?ã??ã?°ã??ã??ã?®é?'æ??å°?èª¬ã?§ã??ã??ã??ã??å?"æ??ã?®ã??ã??ã?¢ã?®èª?è?...ã?¯ã?"ã?®å°?èª¬ã??ã??æ-?æ?¬äººã??æ??å??ã??ã?¤ã??ã?ªã??æ?±ã??æ??å'?ã?'èª?ã?¿å?-ã?£ã??ã?®ã?§ã??ã??ã??ã??ã?¨ã?"ã?©ã??ã??ã?¢èª?ã?®å?ºæ??ã?ªã??æ-?æ?¬ã?®èª?è?...ã?®ç?ºã??ã??ã??ã??ã?¢é??ã?®æ±?å??æ°?ã??ã?"ã?®ä¸-ç??ç??å°?èª¬ã?®ã??ã?©ã??ã!??ã?ªã??ã??ã?£ã??ã?¯ã?ªèª?ã?¿æ-?ã?'å'?ç¤ºã?-ã?¦ã??ã??ã??ã??è??å?°ã?®ã??ã??ã??ã?-ã??ã?¯ã?®å?°å??ã??æ??ä??ã??ã??ã??ã??ç?ªã?¨ç?°ã??ã?®ã??ã?¡ã??ã?¿ã??ã??ã?¨ã?-ã?¦ã?®ä?¡å?¤ã?'æ??ã?¤æ??èª?è?...å¿...æ?ºã?®æ?¬ã?¨è©?ä?¡ã?§ã??ã??ã??
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<title>パリ左岸のピアノ工房 (新潮クレスト・ブックス)</title>
<link>http://35bookshop.bestbook-shop.com/detail/09/4105900277.html</link>
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<description>ピアノを習う人が少なくなってきた。 
それに比べて、電子ピアノ、電子オルガン、キーボードは大衆的になっている。 
キーボードでも十分音楽を演奏することはできる。 
ピアノを習ってから、キーボードを扱...</description>
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ピアノを習う人が少なくなってきた。 
それに比べて、電子ピアノ、電子オルガン、キーボードは大衆的になっている。 
キーボードでも十分音楽を演奏することはできる。 
ピアノを習ってから、キーボードを扱うのでもよいのではないか。 
グランドピアノの持つ音楽性を理解するには、小説として読める本書はそのきっかけにならないだろうか。 
ピアノなんてもう時代遅れさという人には、この本の良さがわからないかもしれない。 
ピアノのことを一度も考えたことがない人に、ぜひ読んでもらいたい本である。 
著者は５０歳を過ぎてから作家になったそうである。 
そういう成熟した視点が、これからのピアノの進むべき道を示しているような気がする。 
日本のピアノメーカの方々にも、読んでもらい、もう一度ピアノの良さを説明する方法を考えて欲しいかもしれない。 素敵な1冊ある。その店はパリの片隅の狭い通りに佇んでいた。閑静な街並に場違いな感もある「デフォルジュ・ピアノ」との名を持つ小さなピアノショップに、アメリカ人の筆者は惹きつけられてしまう。
「パリ左岸のピアノ工房」は、筆者が感じる心情そのままの不思議で謎めいた雰囲気で始まる。スタインウェイ、べヒシュタイン、ベーゼンドルファー、、、。ピアノという楽器が持つ気品と繊細さ、様々な国々から流れてきたピアノたちが集められたパリの裏通りのアトリエ、ピアノへの愛情と蘊蓄が溢れんばかりの調律師、筆者自身のピアノとの関わりと思い出、それらを美しく抒情的に綴る語り口に酔わされる。
"心躍る対象"を追い続ける少年のようなピュアな筆者の気持ち、流行る気持ちを抑え切れない心のときめき、まるで恋をするような魅惑の衝動が胸に迫ってくるのだ。
そして、大きな魂を持つ楽器とそれに更なる生命を吹き込む男の絆、幾多の数奇な運命を経て出合う彼とピアノたち、実にドラマチックだ。
良く出来た神話的物語と思いきや、実はノンフィクションというのが凄い。ピアノ好き、パリ好きはもちろん、それらに興味がなくても、愛用品であれ、蒐集品であれ、自分の中で"愛"を以ってこだわる"何か"を持つ方なら、きっと共感出来るはずだ。パリ市内の「セーヌ川左岸」といわれる地域にあるピアノの修理工房と、そこに出入りするようになったアメリカ人の著者のお付き合いを描いた作品です。

「ピアノもの」といえば演奏家や作曲家がクローズアップされるものですが、この作品はそういったアーティストを描くのではなく、それを支えるピアノたちとピアノをこよなく愛する職人さん、著者を含むその周りの人々とのかかわりを描きます。ちょっと昔の「一見さんお断り」的なヨーロッパに足を踏み入れて戸惑うアメリカ人の著者を通した目が新鮮さ、温かさを等分に描いています。登場するピアノたちは現代のストロングなフルコンサート用のものではなく、ひと昔もふた昔もまえの瀟洒なものばかり。柔らかで軽やかな音色が聞こえてきそうです。日本からは見えそうで見えない、西洋音楽を支えるひとたちの愛情もあふれるごとく伝わってきます。

欲張りをいえば、タイトルは「パリ左岸」じゃなくて「セーヌ左岸」のほうがしっくりくるんじゃないかと…でも、仏語になじみのあるかたばかりが手に取るわけではないので、地名を入れた邦題になるのはいたしかたないことなのでしょう。よってこの件は不問としてこの評価とします。ある作家の人に薦められて読みました。ピアノという不思議な魔力を持つ精密で美しい楽器。それを再生する古い工房とイギリス人の作者がカルティエ・ラタンで出遭う。そこから物語りは小説のようにミステリアスに展開していく。ピアノはたくさんあるはずなのになぜ売ってくれないのか。古い建物の奥にある光あふれる工房では何が行われてるのか。そして作者はある日、職人のリュックと知り合いになる。その日から作者はピアノを通じて、忘れていた豊かで繊細な音楽の世界を自分の中に再発見していく。その不思議な人生の変化が美しい文章で綴られていて、読者の私たちまで同時に音楽を奏でる喜びを思い出す。ピアノの話だけではない。外国人の作者が、難しいパリの裏町文化に少しずつ溶け込んで行く日々も描かれている。そして職人という、ものづくりに執念を燃やす人々のその個性と情熱に、そしてパリの街が持つ不思議な磁力にも感銘を受けずにはいられない。この本は、２００２年の夏にイギリスを２週間旅行している時に読み始めました。ロンドン、ケンブリッジ、エジンバラ、リバプールと旅しながら、時々インターネット・カフェに入って、日本の知人とメールをやりとりしながらの一人旅でした。旅の日程も中ほどに差し掛かったころ、日本からのメールで教えられたのがこの本でした。エジンバラの書店で買い求め、すぐに読み始めました。歩き疲れてお茶をしている時や、寝る前の時間、またリバプールでビートルズゆかりの地を巡りながら暇な時間に読んでいました。私はクラシックが好きで、ピアノを習ったこともわずかながらあるので、とても興味深く読めました。印象的だったのは、ピアノを調律したり、修理したりするときにしか見ることの出来ない「落書き」のことでした。中には１００年以上前に製作された逸品の裏側に、様々な人々が書き込みをしている場合もあるようです。また、最後に、実在するモデルを探そうなんてことはしないで欲しいと、断り書きがしてあるのも、ほのぼのとしていました。でも、きっとこの本を読んだ多くの人が工房を訪れたことでしょう。???パリの左岸にあるひっそりとした裏通りに、そのピアノ工房はある。本書は、パリに住み着いたアメリカ人の著者が、この店の扉をノックし、ピアノという楽器の深遠な世界に入り込んでいくさまをつぶさに描いている。ショパンの好んだプレイエルや豪華なスタインウェイなど、古今東西の名器がこの工房に集まり、再生されていく。ピアノをまるで生き物のように扱う職人との交流を軸に、ピアノの魅力をあますところなく描いている。 ???本書はピアノの専門書ではない。しかし、「震えるようなひびきがいつまでも空中にただよい、次々とひびきを重ねても音色が曖昧になったり濁ったりはしなかった（ファッツィオーリの音色）」というような、個性的なピアノの音に関する表現が非常に魅力的だ。また、自分だけのピアノに巡り会ったときの喜びは、ピアノ好きならぞくぞくするような感覚として実感できるに違いない。20年ぶりにピアノを手に入れた著者と共に、ピアノの起源から近代のピアノが成立するまでの歴史を旅し、ピアノの内部をのぞいたり、有名なピアノ教師によるワークショップに参加したりといった疑似体験を得るこができるのが、この本の魅力といえよう。 ???本書には、ピアノだけではなく、忘れられないキャラクターもたくさん登場する。アル中の凄腕調律師、子どものころ出会ったピアノの先生、著者の子どもが通うことになる音楽学校の校長など、その後が気になる人物ばかりである。 ???著者は、幼いころ感じた発表会の恐怖について回想しているが、その感覚に覚えのある人も多いに違いない。大人になってスパルタレッスンから解放された今、この本を読むと、再びピアノのふたを開けてみたい衝動に駆られる。（朝倉真弓）
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<item rdf:about="http://35bookshop.bestbook-shop.com/detail/10/4105900498.html">
<title>素数の音楽 (新潮クレスト・ブックス)</title>
<link>http://35bookshop.bestbook-shop.com/detail/10/4105900498.html</link>
<dc:date>2008-12-02T02:46:27+09:00</dc:date>
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<description>サイモン･シンの「フェルマーの最終定理」をわくわくしながら読み、「暗号解読」を読んで、映画「エニグマ｣にドキドキ。ペーパーバックの「ビッグバン」をよんでいる最中に出くわした本書。「フェルマー」の感動...</description>
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サイモン･シンの「フェルマーの最終定理」をわくわくしながら読み、「暗号解読」を読んで、映画「エニグマ｣にドキドキ。ペーパーバックの「ビッグバン」をよんでいる最中に出くわした本書。「フェルマー」の感動が甦ります。数学に敬意を、そして美しさを感じることができ、もういちど数学の勉強をしてみたくなりました。学生時代、ぜんぜんダメと思っていた数学。それでも、学習参考書を買ってきました。計算できなくっても、何を言っているのか分からなくっても、数学が伝えようとしていることが「見慣れたものを新しい言葉で表現してみると別のものがみえてくることがある」という本書のメッセージに励まされ、あわせて読み進めています。音楽を美しいと感じ、絵画から美しさとメッセージを感じ取る感性がごく自然なことだと理解でき、そして数学の美しさを発見できたことは、「フェルマー」以上の贈り物かと思います。と呟きたくなる。当然ながら決着するテーマではないけれど、クライマックスまで十分に楽しませてもらえる。数学に詳しくてもそうでなくても。訳者は青木薫のほうが上か？と思える翻訳箇所があった。星マイナス１。難しい言葉はたくさん出てきますが
難しい話はひとつもありません
難しい話を如何に簡潔に
誰でも理解できるように
話をすること
センスがあるかないかって
そういうことだと思うんですよ リーマン予想の解説は、とかくしくなりがちだが、そもそも証明以前に、命題そのものが一般人には理解困難なのだ。
 「ζ（ゼータ）関数の自明でない零点は、全て実部が1/2の直線上に存在すると思うよ」とのことですが、そういわれましても、それを理解するのがまず難問なわけ。ましてや、これがどうして素数定理よりも精度が高い素数密度を出せるのかがさらに難しい。そもそも素数定理そのものすら我々素人には理解が難しい。でも、このリーマン予想はなにやら凄いらしい。
 証明には100万ドルの賞金がついているわ、映画になるわ、全く無関係な量子力学のランダムエルミート行列と繋がっているだわ、もう凄い凄い凄い大変でエレガントで神秘的で萌え萌えだという。それほどイカスならば、否、それほどナウいトレンドだというならば、ぜひとも理解したいではないか。数学は知らない、数学を勉強するガッツもない、だが、せめて概観でもいいから理解したいんです！ 
 OK任せろ
 という趣旨で書かれたのが本書である。確かに数式を避け、イメージを主としているので判り易い。そして面白い。しかし平易であることを狙いすぎたため、無限の濃度の話をしているところでも、対角線論法やカントールの名前すら出てこないため、かえって理解しにくい箇所もちらほらあるように感じた。それがネック。ただリーマン予想の解説本の中では、最も平易だと思うので、そういう意味で貴重だと思う。ＧＪこの本には魅力的な人物がたくさん出てくる。いづれも最高の知性の持ち主で数学が好きな人たち。コンピュータも出てくるがその役割は低い。全編を通じて感じたのはガウスの素数に対する見通しの確かさである。素数表を見てコイン投げの要素を取り入れた素数の分布を予想する関数を作成してしまう。またそれがカオスの考えを入れた現代の素数理論に通じてしまう見事さ。ガウスもオイラーもそしてリーマンも計算の名人でありともかく数字をいじくりまわすのが大好きな人たちだ。昔予備校の先生が手を動かさないわれわれに向かって手が自然に動くまで勉強しないとだめといったがなんだか通じるところがある。膨大な計算をしているうちに深遠な真理にたどりついたのだろうか。

リーマンの予想がなんなのか。ガウスの素数関数とゼータ関数からゼロ点（これも良く分からないが）と素数の関係を予想した式であるらしい。ゼロ点が1/2の線上に分布していることを証明できればいいらしい。そのようななかでモンゴメリーが双子の素数が近接しているのだからゼロ点も近接していると考えた（しかし実際にはそうでなくまた新しい展開が開ける）のは私もそう思ったので数学者もそのような発想をすることを知って安心した。

ラマヌジャンはこの本の中で異彩を放つ人物である。過去の業績や周りの人たちがやっていることを理解するのではなく、数の本質を理解しようとする。結局最終的にリーマンの予想を証明できるのは新たな発想ができる数学者であると著者であるソートイは述べている。

新しい言葉を獲得することにより理解が深まる。またしい視点が得られる。どうも自分みたいななまけものは今ある知識で満足してしまうが一生を棒にふるかもしれないリーマンの予想の証明に人生をかける勇気ある数学者がいるから数学、そして科学が進歩してゆくのだということは分かった。

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<title>天使の記憶 (新潮クレスト・ブックス)</title>
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<dc:date>2008-12-02T02:46:27+09:00</dc:date>
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<description>ストーリーは面白く、一気に読んだ。
しかし読後「はて、内容は？」と考えると、これは戦争やナチスなどの
惨事のスパイスを大量にふりかけた”ハーレクイン”ではなかったか？
一見立派なディナー、でも実は栗...</description>
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<![CDATA[
ストーリーは面白く、一気に読んだ。
しかし読後「はて、内容は？」と考えると、これは戦争やナチスなどの
惨事のスパイスを大量にふりかけた”ハーレクイン”ではなかったか？
一見立派なディナー、でも実は栗の渋皮のほろ苦さを効かせたお菓子。
といったところか。（もちろん、とてもおいしいお菓子であるのは確かだが）
この、骨太のようで実は骨はなくスパイスとして覆っていただけというのが、
他の方も言っておられる腑に落ちなさであるように思います。

主人公は悲劇によって生み出されたいわば透明な女。存在感十分だし、初めて
幸福と出会ってからの劇的な変化の描写もストーリー運びもとても上手い。
これで、惨劇のスパイスに頼ることなく脇役の描写や設定、最後の悲劇の後
などをもっと丁寧に書ききったら、”ハーレクイン”卒業だったように思う。〜裕福な家庭に育った生粋のフランス人にして世界的なフルート奏者ラファエルは、謎のドイツ人家政婦ザフィーに一目惚れし結婚する。しかしザフィーは楽器職人アンドラーシュと愛し合う。アンドラーシュはブダペストからの亡命ユダヤ人で共産主義者、アルジェリア独立運動のシンパである。パリを舞台として展開する不倫劇。パリの風物が効果的に描写され、スト〜〜ーリー展開も申し分ない。事実一気に読み終わった。しかし、何か腑に落ちない、なにか、満たされない思いが残った。３人の登場人物に生き生きとした魅力が乏しいからではないだろうか？〜戦争がもたらすトラウマを抱えた主人公ナンシー夫と子供に恋人があり、トラウマが故にか子供に対してあまりにもちっぽけに扱われる気がする主人公だけでなく、この作品の世界は全てが無責任で、国が無慈悲ででも、だからといって、自分の人生も無責任に真似ていいのか人生には戦争だけでなく、理不尽な出来事もあるが戦争を経験することはここまで無責任になるのか戦争を理由に逃げているだけに感じる私に読解力が無いのか戯言の小説を読んだ感想が拭えない透明感と静けさ。そして音楽。ページを繰るにつれ、音と空気を感じずにはいられない美しい物語。現代の恋愛模様が薄っぺらく思えるほど、ここで静かに繰り広げられるストーリーは深く、重く、そして痛いほどに美しいものです。タイトルやカバーは女性が好みそうなものですが、男性の友人にも好評でした。静かにじっくりと読む本を探している方にお薦めの一冊です。舞台は1957年のパリ。一人暮らしを始めたばかりのフランス人新進フルーティスト・ラファエルが人目惚れして結婚したのは、メイドとして家にやってきたドイ人の若い女性ザフィーだった。ザフィーは口数が少なく感情を表に出さない女性だった。ラファエルはそのミステリアスな所にひかれたのだが、この無表情は大戦中の悲惨な体験が原因だった。しばらくして、ザフィーはパリに亡命したハンガリー系ユダヤ人と恋をし、子連れで彼の元に通う不倫関係を続ける。二人は互いの戦争の傷を語り合い、愛を深めて行く。ところがある日、夫は妻の不倫に気づきが、悲劇が始まる……。   三角関係の背景には、ナチが君臨した戦争の悲惨な記憶と目の前に起こりつつあるアルジェリア戦争があり、物語を重層的なものにしている。??物語は1957年のパリから始まる。フルート奏者ラファエルは、家政婦として雇ったドイツ人娘サフィーにたちまち一目惚れしてしまう。彼女は何事にも無関心無感動な娘だったが、ラファエルは彼女と結婚する。息子エミールが誕生した後も、サフィーの振る舞いに変化はなかった。ある日、楽器修理職人アンドラーシュと出会った瞬間に、彼女は激しい恋に落ちる。密会を重ねるふたり。そうとは知らず、ラファエルは芸術家として成功する。やがて、ふたりの関係は偶然ラファエルの知るところとなり、ひとつの痛ましい悲劇が彼らを襲う。 ??ラファエルは、フランス人のブルジョワ芸術家。サフィーの母親はロシア兵に陵辱され自殺に追いやられた。父親はユダヤ人女性に人体実験を行ったナチのシンパだった。ユダヤ系ハンガリー人のアンドラーシュは、アルジェリア独立運動の活動家である。 ??ストーリーは典型的な三角関係。しかし読み手には、単なる三角関係以上の「物語」をこの小説のなかに見つけるだろう。それは、登場人物たちが運命的に抱えている、民族や国家の「歴史」という大きな物語なのである。そのなかにあっては、恋愛は常に第一義ではない。彼らは「大きな物語」から逃れ、自由気ままに恋愛することはできないのである。 ??もし、この悲劇に多少の救いを見つけるとしたら、それは、この物語の語り手の存在だろう。なぜならその存在こそは、天使であろうから。（文月 達）
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<title>エンデと語る―作品・半生・世界観 (朝日選書)</title>
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<dc:date>2008-12-02T02:46:27+09:00</dc:date>
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<description>エンデの話には、経済、エコロジ−、芸術、シュタイナー、と広く連鎖して行くその必然がわかる。
対話者の、子安さん母娘との、一種の錬金術的な出会いが感じられて、たいへん密度のある対話で、読む側も集中でき...</description>
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エンデの話には、経済、エコロジ−、芸術、シュタイナー、と広く連鎖して行くその必然がわかる。
対話者の、子安さん母娘との、一種の錬金術的な出会いが感じられて、たいへん密度のある対話で、読む側も集中できる。

ところで、経験的にも共感したことをひとつ。「好き」なものを心底語れるというのは、他者にそれ相当の反応を引き出すものだろう。
もし自らの何の先入観も脇にどけて、それから相手の情熱を込めた話を無邪気にストレートに聞くなら、語られる世界が興味のある世界とは言えなくても、かれの「愛情」がもたらすものはあなたには恩恵であるだろう。
それは知識や情報の蓄積とは異次元であるので、語る技術や、また聞き手の冷笑的な態度とは無縁であるだろう。
ぼくらは他者に冷笑的な態度で、斜に向き合うことで、どれほど自らの精神を枯渇させているだろうか。とも思う。

エンデは、ある画家について、自らの開眼するきっかけになった短いトーク番組を観ていたときのことを話している。
それはこのように、テレビの中に登場する「相手」からも可能なものなのだ。

「私はあのテレビで学ぶところが、どんなに大きかったことか。
人間というのは、自分が愛するものについて語り出すと、しかもその愛する対象がほんとうにふさわしいものだとすると、ほんとうにみごとに語ることができるものです。
聞いていて退屈させられるのは、いつでも、人が何かをきらっているとき、あるいは批判しはじめるときです。
でも、自分に好きなもの、愛を傾けられるもの、について語るときは、聞き手をただちに引き込みます。聞き手もともにそのよろこびを分かちあいたいと思うからです。」
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<item rdf:about="http://35bookshop.bestbook-shop.com/detail/13/4105900072.html">
<title>巡礼者たち (新潮クレスト・ブックス)</title>
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<dc:date>2008-12-02T02:46:27+09:00</dc:date>
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<description>初めて読んだのは高校生のとき図書館で。あまりにも面白くて、
ページを捲る手が止まらなくて、ひとつひとつの愛しい短篇た
ちを読み終えるのがもったいなく感じたほどでした。
読み終わったとき、ひとつの長編...</description>
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<![CDATA[
初めて読んだのは高校生のとき図書館で。あまりにも面白くて、
ページを捲る手が止まらなくて、ひとつひとつの愛しい短篇た
ちを読み終えるのがもったいなく感じたほどでした。
読み終わったとき、ひとつの長編小説を読んだあとのような満
足感を覚えました。そして、頭の中に甦ってくるのは美しい波
のような光景。

この短篇集は、まぎれもなく、「物語を感じる」ことのできる
一冊です。力強い作品だった。よい短編というのは、もう少し読みたいと読者に思わすことができるものだが、この本に納められているほとんどがそんな話ばかりだった。どれだけ上手い作家にしたって、ほぼ全ての作品でそんな風に思わせる短編集なんかかけやしない。スティーブン・キングはストーリーテラーだし、ジョン・アーヴィングは長編巧者だ。トルーマン・カポーティならいけたかもしれない。ティム・オブライエンもいい線行っている。だがその誰もが、処女作品として、そんなクオリティーの高いものを出版できていない。エリザベス・ギルバートはそこがすごい。実に稀有な短編集だ。文句なし。アメリカではエリザベス・義ルバートの三作目が既に出版されているようだ。二作目は「スタン・マン」というタイトルの長編だ。ぜひ早期翻訳・出版してほしい。以前、短編集というのはなぜか苦手で読むことをさけていました。ジュンパ・ラヒリで短編魅力に気づいたのですが、この短編集もとても魅力のあるお話の数々です。誰もが人生を「こんなもんさ」って思っている部分と、諦めるのは嫌だと自分なりに努力していると思うのですが、その努力が他人からみると的外れでこっけいですらあることがあると思うのです。この小説にはたくさんのそういう「普通が可笑しい人」が描かれています。私が気に入ったのは「デニー・ブラウン（１５歳）の知らなかったこと」というお話です。自分では自分の欠点がわかっていて「あ、また言っちゃった」とくよくよ悩んでいたとしても、他人からは気にしているようには思われず、人知れず悩んでるってよくありますよね。人は他の人を「こんな人だ」とわかっているつもりでいたり、自分のことをわかっているつもりだったりするのですが、本当にそうなのかな？なんて考えさせられる作品たちです。ひとつひとつが私の心という水の底に静かに沈んでいて、静かにその存在を主張している・・・そんな印象が残りました。ふわーっとした、あたたかい短編集。気持ちよく読んで、読んだあとも気持ちよかった。エリザベスって、いい作家だね。ぼくは、いちばん最後の、いちばん短い話がすごく好きです。これは、ほんとに、ほのぼのといい話。短い話なので、ここで粗筋を紹介するわけにはいかないけど、ある女性に、この物語を語って聞かせたら、よろこんでくれました。そして話が終わった後、二人でニコニコ。帯に｢短編小説でなければ書けないことがある」とありますが、まさにその通りだと思います。いずれも掌編で、とりたてて大きな事件やトピックが起こるわけでもなく、ドラマ性は全くない、さっくりと読める作品ばかりですが、妙に力強い印象が残ります。登場人物へのまなざしは、べとつかず突き放さず、程よい温度感で貫かれていますし、無駄のない簡潔な描写とリアルなせりふが読後に心地良さを残します。なぜか、インパクトはないのに｢もう一編読みたい」と思わせる作品ばかりです。
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<item rdf:about="http://35bookshop.bestbook-shop.com/detail/14/4105900331.html">
<title>ソーネチカ (新潮クレスト・ブックス)</title>
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<description>読後の印象が、いわゆる「名作」で、登場人物の名前からしてトルストイやツルゲーネフ、あらすじがゾラやモーパッサンを彷彿とさせます。レヴューにあらすじはネタばらしの反則のような気がするので割愛しますが、...</description>
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読後の印象が、いわゆる「名作」で、登場人物の名前からしてトルストイやツルゲーネフ、あらすじがゾラやモーパッサンを彷彿とさせます。レヴューにあらすじはネタばらしの反則のような気がするので割愛しますが、やれエンタメだ、やれホラーだ、やれメタフィクションだ(はないかもしれませんが)の昨今の趨勢をお嘆きの諸兄には、昔、読み耽った「名作」の現代仕様として(昔、読んだ「名作」ほどこってりはしていないので)楽しめること請け合いです。リュドミラ・ウリツカヤのこの作品が、後世においても高い評価を受け、文学において高い位置を与えられることはないかもしれません。しかし、この作品を読み終えた読者の心の内には、静かではありながらも絶えることのない余韻が残ることでしょう。
貧しいソーネチカは、図書館に勤めていた際に知り合ったロベルトと結婚します。夫は芸術家で反体制活動家であるため、家族はソヴィエト国内を転々とし、貧しい生活を強いられます。しかしソーネチカは、書物、夫、娘に囲まれたその生活に幸福を見出します。いえ、「見出した」というのは正確な表現ではないでしょう。彼女の送る生活に、或いは彼女が送った可能性のある生活に、彼女は決して不幸という感情を抱くことはないでしょうから。
女性が何らかの権力によって蒙る受難がこの作品のテーであると捕らえることは、不適切ではないでしょうか。貧困、夫の不実、ソヴィエトによる圧制、こういった要素が、彼女の感情に大きな影を落とすことも、彼女の感情を引き裂くこともありません。ソーネチカの沈黙を、彼女の人生に対する服従を非難することができるかもしれませんが、それはこの作品の描くところを曲解することではないでしょうか。作家はソーネチカの傍に寄り添って歩みを共にしており、読者はその少し後ろから彼女達を眺めやるのみです。
翻訳家の柴田元幸氏の書評が、この作品の魅力を的確に述べています。「･･････とにかくそういう人（ソーネチカ）が作者の頭から生まれてしまったのであり、そうやって生れた人を、作者はただそういう人として描いた。人間を祝福する上で、これ以上正しいやり方があるだろうか」。本が大好きなソーネチカの一生の物語。 
ソーネチカは、すごく幸せな事があればその現実を 
「なんて幸せなんでしょう」と感謝して、 
他人から見れば不幸な事がおきても 
「こんな自分だから仕方ない」と納得してしまう。 
誰かを何かを悪く言う事はない。ある意味自分を良くわかっている？ 
なかなか出来る事ではない。強い強い信念を持った女性なのかも。 

普通なら不幸だと思えるエピソードは、普通の作家が書いたら 
そこを突き詰めてしまいそうだけど、この作者はあっさり流して
しまっていて、 それがソーネチカその人の性格なんだろうなぁと
読んでいるこちら側もたんたんとその出来事を消化してしまう。 

物語に入り込むというよりも、ソーネチカの家の窓から 
ソーネチカの一生を垣間見たような気分にさせる物語。 

文章も綺麗、物語の中の描写も綺麗なので星５つ。昔、村上春樹がスコット・フィッツジェラルドの短編「レバノン再訪」を「読後しばらく経ってから、後ろ髪をつかまれるような小説」といって尊敬し、手本にしていたそうですが、このウリツカヤの「ソーネチカ」も読後しばらくしてから、背中から突然掴み掛られるような驚きと感動のおしよせる作品です。

読んだ直後はわからない何か、例えばこの小説はどうしてこんなにチェーホフに似ているんだろう？とか、どうしてソーネチカは、最愛の夫に裏切られても失望しないんだろう？とか、どうして彼女は一人娘の友達ヤーシャが夫の恋人であったにも拘らず、相変わらずご飯を食べさせてやったり、以前と変わらず優しくしてやれるんだろう？とか・・そういった謎が時間をおいてから突然、背後から殴られるように解ける。ああ、この爽やかな読後感はあのチェーホフの「可愛い女」を読んだ時と同じだ。ソーネチカの幸福はオーレンカの幸福と同じだったんだ。

底光りのするようなロアの良心がひとりの平凡な女性の一生の中に１００％描かれています。人生のあらゆる場面で読み直したくなる一冊。訳者のしっとりと女らしい日本語がこの翻訳作品を更に魅力的にしています。２１世紀の「カワイイ女」必読の書。ソーネチカは「本の虫」です。あまり可愛いといえない女性として描かれています。一般的に言われている「女としての喜び」を諦めている女性です。 しかし、彼女ほど人生を幸せに生きている人はいないのでは？どんなに不幸が訪れようと、彼女は「幸せ」を見いだすのです。 我々現代人は、不満が多すぎます。一見、経済的にも、文化的にも技術的にも大いなる発展を遂げたかのようにみえますが、心はすさんでいます。十分すぎる贅沢をしながらも、まだ不満を・・・欲を求めています。 幸せはお金で買える物ではない。今の私たちが忘れた「本当のささやかな幸せ」をソーネチカが教えてくれます。ぜひ、機会があれば読んで欲しい一冊です。
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<item rdf:about="http://35bookshop.bestbook-shop.com/detail/15/4105900528.html">
<title>世界の果てのビートルズ    新潮クレスト・ブックス</title>
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<dc:date>2008-12-02T02:46:27+09:00</dc:date>
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<description>著者の自伝小説とも言えるこの作品は人口約９００万人のスウェーデンで７５万部も売れている。
舞台はスウェーデン北部、フィンランドとの国境に近いパヤラ村ですぐそこは北極圏という場所
だ。ここはトゥーネダ...</description>
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著者の自伝小説とも言えるこの作品は人口約９００万人のスウェーデンで７５万部も売れている。
舞台はスウェーデン北部、フィンランドとの国境に近いパヤラ村ですぐそこは北極圏という場所
だ。ここはトゥーネダーレンと呼ばれる地域で、スウェーデン語ではなくこの地方独特のフィンランド語（ミエンキエリ）を話す。

少年はある日一人の無口なニイラという少年と友だちになる。そのうち村の学校に入学するが、少年には殴り合いが付きものであった。ニイラのおばあさんが死んだとき、ニイラは葬式でアメリカから来たいとこからビートルズのシングル盤をもらう。ロスクンロール・ミュージック。
進学し噛みタバコをやり、性に興味を持ち、ロックンロールは彼らを虜にした。

婚姻の場面ではお互いの家族がサウナの我慢大会をやった。ネズミのしっぽを集めるアルバイトをやり、酒飲み大会が開かれ、ロックバンドが結成された。
男子の間で少年ギャング団なるものが作られ、やがて彼らは大人にっていく。

ばかなことをたくさんした少年もやがて大人になり、自分の青春時代を振り返る。
彼の青春時代はこうだったのだ。愚かなことも、セックスのことも、楽しかったことも全部まとめてこんな時代だったのだ。
この本を読んで自分の青春時代を振り返るのも良し、これから青春時代を迎える人には参考に（なればの話だが）しても良し。
とてもおもしろいので是非読んでほしい作品だ。
酒と女とロックンロール。青春には必死アイテム。
でもその場所は、寒いスウェーデンの北の村。
父が息子に話す内容には笑ってしまったし、
少年達がであう摩訶不思議？な出来事にも
おもわず吹き出してしまう
少年の目を通してのパヤン村の生活がよーくわかります。
パヤン村にちょっと行ってみたくなってしまいます。本書は、いわゆる自伝である。スウェーデン最北の村パヤラ。フィンランドの国境に近いということもあって、どっちつかず的な場所なのが中立と対立を生むパヤラ。冬は二ヶ月も太陽がのぼらず、夏は白夜が続くツンドラに囲まれた村パヤラ。
そんな、世界から忘れ去れたような村で育つ少年のなかなか刺激的な日常が描かれていく。
スウェーデン最北の地での生活がどんなものなのか想像できますか？
コーヒーにトナカイの干し肉とチーズを入れて飲むなんて想像できますか？
黒人見たさに村人のほとんどが教会に集まってくるなんて想像できますか？
とにかく、本書に描かれるエピソードの数々はぼくに驚きをもたらしてくれた。でも、どこの世界でも子どもは同じ。みんな無鉄砲で、何に対しても興味津々で、超がつくバカなのである＾＾。しかし、その無鉄砲さゆえに救われることもしばしば。
少年は思春期を迎え、大人への一歩を踏み出す。そこにあらわれるのが「ロスクンロール・ミュージッッス」。これ、誤記じゃないですよ。主人公が初めてビートルズのドーナツ盤を見て、そこに書かれている英語を読んだときの発音なのである。
とにかく、おもしろかった。胃のよじれる夏のアルバイトの章では、ほんとに胃がよじれそうになって、その後の食事にもいささか影響をおよぼしたが、『おもしろうてやがてかなしき』青春の日々がいつまでも余韻として残った。
ほんと、この新潮のクレスト・ブックスは素晴らしいシリーズだと思う。ハズレが異常に少ない。貴重なシリーズだ。舞台はスウェーデン北部の小さな村、時代は1960年代。雪どけの泥道が舗装され、ロックンロール・ミュージックが村にも入ってくる。場所は違っていても、ビートルズの音楽に初めて出会った若者の感動は、世界中どこも同じ。主人公の二人の少年達とその時代の空気を共有しながら、読者は見知らぬ土地の人々の生活や文化に触れることが出来る。作者のユーモアに溢れた語り口に引き込まれ、読み終えた後も長く余韻の残る最上級の青春小説だ。お勧め度100％！
 1960年代に少年期を過ごした、スウェーデンでも北極圏に入るくらの北の果て。じいさんは猟師、父さんは木こり。小さな村のしがらみと、氷を突き破って流れだす川。物質的に豊かになりはじめたその村で、勢いよく成長する少年たち。

 若者があとにした北の果てにもハイブリットな場面がある。主人公の親友ニイラのばあさんを送りに、ほかの場所へ移り住んでいた子どもたちが結婚相手や孫を連れて葬式に来た。スェーデンの南部やドイツから、アメリカやニュージーランドからも集まった親戚一同は、話す言葉も宗教もそれぞれ。

 そのときアメリカから来た子どもが持ってきたのが、ビートルズのシングル版。地響きにも似た、体に伝わるビート。今までかまってくれなかった姉さんとも、一緒に音楽を聞くようになる。聞くだけではおさまらず、ぼくは手作りのギターをかきならしはじめた。

 はじめてしたバイトはネズミのしっぽ集め。罠を仕掛けておくだけで一晩に20匹はつかまった。本物のエレキギターを手に入れるために精を出す。

 そして「男は腕力」だった地域に、調子のはずれたロックが響く。

 寒い地域の話なのに心が温まってしまうのは、作品からあふれるエネルギーのためなのか、笑いを誘う軽妙な語り口のためなのか。

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<item rdf:about="http://35bookshop.bestbook-shop.com/detail/16/4105900196.html">
<title>停電の夜に (新潮クレスト・ブックス)</title>
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<dc:date>2008-12-02T02:46:27+09:00</dc:date>
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<description>著者の、出世短編集。
著者は、両親がインド人らしいが、アメリカで執筆しており、インドに住んだ事は無いらしい。
それでも、どの作品にも、インド出身の登場人物が配され、中には、インドを舞台とした作品もあ...</description>
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<![CDATA[
著者の、出世短編集。
著者は、両親がインド人らしいが、アメリカで執筆しており、インドに住んだ事は無いらしい。
それでも、どの作品にも、インド出身の登場人物が配され、中には、インドを舞台とした作品もある。

この、インド情緒に加えて、変化の少ないストーリーの中に、著者の民族意識の「叫び」を感じる事が出来る。
表題作で、停電の夜に、蝋燭のもとで、自分の暴露話の応酬を始める夫婦は、ともにインド出身だ。
だからといって、作品とインドとは、直接には関係が無く、インド色がほのめかされる。
表題作は、読者の思惑が、あっけなく裏切られて、特に印象に残る。

どの短編も、面白いのではあるが、読者を選ぶかも知れない。
本短編集に、躍動的なストーリーを期待しない方が良い。
それよりも、しみじみと味い深いのである。

インド的（民族的）スパイスに加えて、日本語翻訳も巧みだ。
じっくりと、味わう事が出来る。
 「その名にちなんで」を読んでから、ジュンパ ラヒリに興味を持ち、この本を手に取りました。どの話も、さしてスリリングな展開があるわけではありません。けれど、登場人物の語り口が新たな人との出会いや別れを、鮮やかで特別な日々として浮かび上がらせてくれます。
 この短編集の中で、私が一番印象に残っている話は、「本物の門番」です。何気ない日常を切り取ることの多いこの短編集の中では、比較的しっかりした結末がある話です。また、話に移民でないインド人しか出てこないところも珍しいです。この話では、物語の最初から様々な伏線によって主人公の老女の人生が転落させられていきます。どんな辛い環境でも、柔軟に生きてきた老女が、結局は偶然の連鎖による予想ができない不幸に飲み込まれる姿は、思い出すだけで涙が出そうになります。作者の観察眼による転落劇の過程の一つ一つが、ただの悲劇以上に老女の人生の哀れを強調していて胸に残り続けます。前評判などを全く知らずに読んだ本書。

話の中に折出てくる「日常」のふっとした瞬間と、主人公の気づきがとても新鮮な短編集。

なんでもないけれど、とても普通の日常を鋭く描いた作品だと私は思います。

通勤電車でも読みやすい短編集！！インド系2世アメリカ人、ジュンパ・ラヒリが、自分のルーツへ敬愛と愛情をこめた短編集。 
インド系アメリカ人の物語を軸に、９つの物語で構成されているが、そのどれをとっても共通の抑制のきいた端正な文章もまた、印象的。 

インド系2世同士の結婚の行く末をテーマにした第一話と、アメリカという土地で自分の道を切り開いてきた移民1世達に対するオマージュ、の第9話。この２話が特に印象的といっている人が多いようだ。個人的にも、９話めの、『３度目で第３の大陸』を非常に気にいっている。 

それにしても、９つ全てに漂っているインド文化の薫りは、時にはっとさせられる 
『これってアメリカで起きてることなんだ。』 
って。 
つまり、アメリカ文化の周縁でインド文化がこんなにも根付いているって事に気づかされる。 
白人と黒人の対立構造とは違った次元でインド文化という衣を羽織って生活してる人がいるって事実に（当たり前のことかもしれないんだけど）、そしてその文化の深淵さに驚いてしまう。 

そのいい例が、この本のひとつの特徴でもある料理の描写。覚えきれないくらいたくさんの香辛料を使ったインド料理は、毎日繰り返される。 
それは、日々繰り返される日常であるがゆえに、 
1年が365日ある分だけ、その深淵さははかりしれないものがある。おそらく、そんな風にアメリカという土地でインドの文化は根付いていったのだろう。 

本当にこの本を吟味できる人達は、もしかしたらインド系移民に限られているのかもしれない。 
でも、自分としては文化を紡ぐということに想いを馳せながら読むことが楽しい。 
そして例えば第１話の様に、異文化で起こる夫婦間のできごとに普遍性をみた気になっていたりもする。 

大学生の頃に読み、読書ってこんなに楽しいものか、と思った。 
それから6年間原書、和書、ともに繰り返し読んでいる。 
読むたびに心地よい。 

きらきらしてる、1冊。観察力がものすごくて、短編でありながら、その“場”の雰囲気が自分がそこにいるかのように感じられてきます。
ですが、個人的には合わなかったかなと。翻訳の文章にも馴染みがたかった．．．

一つ一つ、何が起こるわけではない、でもちょっとした出来事にからむ人の心の機微、みたいなものが描かれているのですが、その出来事がとても中途半端に終わっているような、まだ、主人公たちはその出来事のなかにいるのに、その後の方向性なしに物語が終わってしまうような感じが、どうももどかしくってなりませんでした。
そこがよさの一つなのだと思うので、やはり合わなかったということです。
ですが最後のお話はそういう意味で、中途半端でない印象を持ちました。これにはじんと来ました。

あくまで、個人的な感想です。
どなたかの参考になればと思い、レビューを書きました。???ジュンパ・ラヒリのデビュー短編集に登場するすべての人物の病を誰かに通訳させるとしたら、この表題作の主人公、カパーシがまさにうってつけの人物といえる。たとえば、「停電の夜に」の若い夫婦、ショーバとシュクマール。2人の結婚生活は子どもが死産したことによって徐々に崩れ落ちていく。あるいは、「セクシー」のミランダ。彼女は既婚男性との何の望みもない情事にはまり込んでいる。しかし、カパーシもまた彼自身の問題を十分抱えこんでいるのだ。 ???患者の言葉を理解できない医師のために通訳として働くかたわら、カパーシは旅行者を地元の観光スポットに連れていくタクシー運転手もしている。ある日、彼はインド系アメリカ人1世のダス夫妻とその子どもを車に乗せる。彼らを車で案内しているうちに、カパーシはダス夫人に心魅かれていくことになる。そして、夫人が通訳という彼の仕事の意味を深読みしたことによって、カパーシは不本意にも彼女の秘密を打ち明けられることになる。「私はあなたの才能を見込んで話したのよ」と、驚くべき秘密を漏らした後で夫人は彼に告げる。 もうずっとこんなひどい気分でいたのにウンザリしちゃったのよ。だって8年よ、カパシーさん、8年も苦しんできたの。あなたなら私の気分をいくらか楽にしてくれるんじゃないかなって、そう思ったの。適当な言葉をかけてくれるとか、なにか療法みたいなものを勧めてくれるとかしてね。 ???もちろん、カパーシには、夫人の悩みに対しても、あるいは彼自身に対してもさえ、処方箋を出すことなどできない。 ???こうしたほろ苦い結末はラヒリのこの短編集全体を貫く特徴である。9本の短編のうちいくつかはインドを、それ以外はアメリカを舞台に設定しているが、それらのほとんどがインド系の人物に関したものだ。しかし、ラヒリの描きだす人物が直面する状況には、それが不幸な結婚生活であっても内戦であっても、民族性の枠におさまりきらない広がりがある。短編集最後の作品「3度目で最後の大陸」の語り手は次のように述べる。 ?「これまで長い道程を旅し、数えきれないほどの食事もし、たくさんの人たちと知り合い、いくつもの部屋で眠りを重ねてきた。人生の歩みと共に積み重ねられてきたこれらのひとつひとつに、私は戸惑いをおぼえることがある」。 ???成長を遂げ、家を離れた者、恋に落ち、また破れた者、そしてとりわけ、家族を持ち、その中にいながらも自分を異邦人のように感じてしまう者、そんな誰もが人生のどこかでふと感じることになる不安や戸惑いを、ジュンパ・ラヒリはこの中に見事に要約している。
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<title>新潮選書 世界文学を読みほどく (新潮選書)</title>
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<description>名作とは、誰もが知っているのに誰も呼んだことが無い作品を言う

というジョークがあります。自分にとってはトルストイの「アンナカレニナ」とかプルーストの「失われた時を求めて」というのがそれに当たります...</description>
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名作とは、誰もが知っているのに誰も呼んだことが無い作品を言う

というジョークがあります。自分にとってはトルストイの「アンナカレニナ」とかプルーストの「失われた時を求めて」というのがそれに当たりますが、とは言え中身を知らないとサスガに後ろめたい。

こういう気持ちをわかる人には要約よりは深く、しかし批評よりは浅く世界文学を紹介している本書は大変身の丈にあった本だと思います。

深みが無い、という批判もあるようですが、自分にとってはソファに寝転がりながら読み飛ばせる本書はなかなか面白かったです。

京大での集中講義という触れ込みの本書だが、
ナボコフ級の名講義を期待すると肩透かしを食らう。

時間的制約もあったとは思うが、
個々の作品の歴史・地理的背景についての
大まかな説明が導入部でなされるほかは、
「講義」の殆どがあらすじの紹介で終わっており、
ところどころに著者独自の切り口が示されるものの、
「読みほどく」というところまでは
到底届いていないという印象を受けた。
とくに、トルストイが全然読めていないと思う。

とはいえ、本書に挙げられた作品を
あまり読んでいない人にとっては、
興味のとっかかりを見つけるブックガイドとしては、
それなりに有効かもしれない。
私自身、ピンチョンの『競売ナンバー49の叫び』は未読だったので、
読んでみようかという気にさせられたのは確かだ。

ただ、自分の作品を錚々たる「世界文学」に並べるのはどうか。
もちろん、実作者だから語りうることも多くあるはずで、
講義の場を借りてつい語りたくなったのかもしれないが、
個人的には、池澤氏は「評論家」だと思っていて、
氏の小説自体はあまり高く買っていないので、
（理由は単純で、知性の勝った人が小説を沢山読んで
 頭で捏ね上げた話だという印象が拭えないからだ。）
自作について語るなら、場を改めて欲しかったというのが、
正直な感想である。

蛇足になるが、『魔の山』の回で、
例によってドイツの歴史地理的事情を語りながら、
ドイツがフランスよりも中央集権の遅れた後進国で、
地方分権的な構造の国家であることについて、
「それは、統一が遅くて、地方に小さな国がたくさんある状態が
 長かったからではないかとぼくは考えています」（p.215）
と述べられているが、別にそんなことは池澤氏に考えてもらわなくても、
すでに共通認識と化した事柄ではないかと感じた。数多ある小説に一つの系譜を読み取るとすると、こんな具合になるのかと感服しました。スタンダール、ドストエフスキーの小説は「一人の神から派生したディレクトリ、樹木状の構成」をした世界であるが、「世界は個々の項目の羅列から成り立っていて、それらの間には関係性が深いものと深くないものがある。全体を統一するディレクトリはない」ことをメルヴィルは『モービ・ディック』で書きたかったのではないか、そしてジョイスの『ユリシーズ』がこれを極め、ガルシア=マルケスが『百年の孤独』で新たな小説を提示する。それは細部と全体が同一のパターンを示すフラクタルにつながる。

小説を読むことの楽しさをつくづく教えてくれます。挫折していた『カラマーゾフの兄弟』を読み始めたくらいです。そしてレメディオス・バロや入沢康夫など、池澤夏樹がこだわっている人もまた魅力的。これでは人生が何百年あっても退しない気にさせる。

ただ、池澤氏の解釈もまた、バラバラに存在する小説群に一つの「樹形図」を見出そうとするものではないのかと思いますが、これまた余計な一言でした。
なんとうらやましい！あの池澤さんの講義が７日間１４コマも聞けるなんて、京大生に化けて講義を受けたかった。でも、この臨場感あふれる講義録で１０大小説のスリリングな読みほどきを十分堪能できた。読んでいた作品も読んでなかった作品も明快な分析で目からうろこの落ちる思い。再度挑戦の意欲もわくというもの。２年ほど前から池澤さんの作品を読んできました。この作品は小説やエッセーや読書関連の作品とは一味違う大学の講義録ということで、どんなものだろうかと思って読ませていただきましたが、はっきり言ってベリーグッドでした。取り上げられた１１作品のうちの３作品しか読んではいませんでしたが、読んでない作品についてもとても面白く、読んだような気分にさせられてしまいました。世界の名だたる文学作品を一つずつ読むことを通して、今の我々の直面している世界とはどういうものであるのか、今の人はどういう入れ物の中で息をしているのかということを明らかにしていただいたと思われます。随所に挟まれる最近の世界や日本の状況へのユーモアに溢れた鋭い指摘も、池澤さんならではの内容と切り口で何度も頬を緩めてしまいました。読み終えてみると、文学論・文学作品の鑑賞というよりも、むしろ『世界のために涙せよ』の番外編とさえ感じられました。３日ほどかかって読みましたが、充実した時間を本当にありがとうございました。またおかげさまで、読んでなかった作品もいよいよ読んでみたくなりました。
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<title>ウォーターランド (新潮クレスト・ブックス)</title>
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<dc:date>2008-12-02T02:46:27+09:00</dc:date>
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<description>「脱線」 
１ 汽車や電車などの車輪が線路からはずれること。「列車が―する」 
２ 話や行為が本筋から横道にそれること。「話が―する」（大辞泉より） 

 おそるべき脱線小説です。時間軸はあちらこち...</description>
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「脱線」 
１ 汽車や電車などの車輪が線路からはずれること。「列車が―する」 
２ 話や行為が本筋から横道にそれること。「話が―する」（大辞泉より） 

 おそるべき脱線小説です。時間軸はあちらこちらに飛びまくる。「ウナギについて」というとんでもない脱線もする。しかし物語は、干拓で整理し、だが最終的に元の湿地帯に戻ってしまうフェンズのように、収束していきます。 
 繰り返される歴史、目新しく見える革命ですらも回帰にすぎない。「いま、ここ」にいるということはどこにも行けずただ流されていくしかないということ。読みにくいようで非常に凝った技巧、歴史の考察にみられる広範な知性が感じられる一作でした。 妻が起こした嬰児誘拐のために職を追われることになった歴史教師トム・クリックが、カリキュラムを無視して生徒たちに語り始めます。彼の故郷であるフェンズという土地について、フェンズから人間による支配を一掃する水について、彼の兄と父そして急逝した母について、後に妻となるメアリ・メトカーフとの幼い頃からの係について、フェンズから利益を引き出しつつも其処に屈することになるビール醸造業者のアトキンソン家について、そして其処に暮らす無責任な大衆について、フランス革命について、世界大戦について。これらをトムは、「歴史」そして「物語」として生徒たちに語ります。
作家は短い章を巧みに配置し、広大な土地とそこを貫く時間の流れ、そして無数の人々が織り成す「歴史」＝「物語」を描いていき、読者はその中に飲み込まれ圧倒されることになります。
後の『最後の注文』においてこの手法は、複数の語り手という形式に姿を変えて再び現れることになります。『ウォーターランド』は、『最後の注文』と比較して洗練度では若干劣るかもしれませんが、物語の拡がりという面では圧倒的です。どちらが小説として優れているという問題ではありません。
これだけの力量を持った作家の作品が、前述の二作品と『この世界を逃れて』（絶版）の三作品しか邦訳されていないのは残念なことです。グレアム・スウィフトは、イングランドの現代作家の中でも極めて重要な存在だと思うのですが。
時間（その長短は優劣とは無関係）と空間（その広狭は優劣とは無関係）を巧みに設定し、その中で人間の行動と心の動きをきめ細やかに描いた作品というのは、現代作家においてはそう多くないのですが、この作品はそういった数少ない稀有な作品の中の一つでしょう。
余談ですが、グレアム・スウィフトは『最後の注文』でブッカー賞を受賞していますが、なぜ『ウォーターランド』がその栄誉に浴することがなかったのか疑問です。ブッカー賞の意義や選考基準、当該年の受賞作品については知りませんので単なる個人的な違和感に過ぎませんが、イアン・マキューアンが『愛の続き』でなく『アムステルダム』で受賞したこと程ではないにしても、やはり疑問が残るところです。 「子供たちよ・・」 ロンドンの高校の歴史教師トムは、生徒に向かって語りかける。彼が生まれた水郷フェンズの土地の物語、そこでの家族の歴史、知恵遅れの兄ディック、現在の妻であるメアリーとの愛と性など。ウナギについての考察やフランス革命、そして自然史についてなど紆余曲折しながら彼の物語は続く。が読んでいくうちに、彼が現在置かれている状況、そして過去の殺人事件や祖先や家族についての謎などが自然に明らかになり、彼の壮大な「物語」が終わる。 久しぶりに読んだ「いい小説」という感じがした。小説家の莫大な知識を、話の中に上手くちりばめたこのような本は、初めて読んだような気がする。日本語の翻訳も重厚な文章で「翻訳」であることを感じさせない。
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<title>イラクサ (新潮クレスト・ブックス)</title>
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<dc:date>2008-12-02T02:46:27+09:00</dc:date>
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<description>カナダの田舎町を舞台にした９編の短篇集です。 

アリス・マンローという作家の作品を読むのは初めてなのですが、その文章と余韻に魅了されました。 
特に、表題作「イラクサ」までの５編は、どれをとっても...</description>
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カナダの田舎町を舞台にした９編の短篇集です。 

アリス・マンローという作家の作品を読むのは初めてなのですが、その文章と余韻に魅了されました。 
特に、表題作「イラクサ」までの５編は、どれをとっても心に残る作品ばかりです。 
その理由は、ありきたりの日常生活の中に起こる心情の機微を、ストレートに描ききっているからかも知れません。 
今年映画（「アウェイ・フロム・ハー 君を想う」）が公開になった「クマが山を越えてきた」は、アルツハイマーになった妻を思う夫の純愛に溢れた作品で、身につまされるものがありました。 

冒頭の「恋占い」もジュリアン・ムーアで映画化されるということなので、是非見たいと思います。幸せな新婚生活が、ケーキの行方不明というごく小さな出来事で、なにかがズレてくる。

アリス・マンローは、こうした「決定的瞬間」「分岐点」を描き出すのがとてもうまい。
しかもそうした瞬間は、他の人には決して分からないような一瞬に、ごくごくありきたりな日常の出来事の中に起こる。
何も変わっていないように思えるのだけれど、それまでとは何かが決定的に変わってしまった、という感じに。

時間軸が10年単位であちこち飛ぶものだから、最初はそのテンポにとまどうけれど、そのうち長編映画でも見ている気分になってくる。
読みにくいと感じる部分もあるが、一文一文が、手のひらにじわりとくる重さを持っている。

おすすめは、物語としておもしろい「恋占い」、情景描写が美しい「浮橋」、最後の一文に収束する「クイーニー」。

同じクレストブックスから出ている女性作家、ジュンパ・ラヒリと似たような雰囲気を持っているけれど、アリス・マンローの作品には、人生を眺める大きな時間軸がある。
それは、75年という人生経験の差かもしれない。短編集で何気ない一瞬の出来事が、その人の一生に影響を与えたり（ただし、大きな変化ではなく心のありようが変わっただけで表面上の変化は誰にも分からない様なモノ）、掛け違いから始まった物語が意外な結末を（でも、およそ重要な事って偶然のきっかけだったりしますよね、そんなリアリティがある物語）呼ぶモノだったり、こんな事あった日のこんな出来事だったら一生忘れられないよね（何気ない1日のちょっとした風景なのに、しかもその事をこの先誰とも共有できないけど）ってお話しだったり、楽しめます。 

中でも「クィーニ−」と「恋占い」と「浮橋」と「クマが山を越えてきた」は良かった！ 


別に辛いことがあってもいいじゃないと思える、もうすぐ終わってしまう人生の中でもこんな事があるんだなぁ、と思える、そしてそれなのに、あるいは小説なのにリアリティを、現実感を感じられる1冊です。 

ちょっと疲れちゃった方で気分をすっきりさせたい女の人にオススメします、でも最後の「クマが山を越えてきた」は断然男の方にオススメ。どれをとっても完成されたもので、人生のあらゆる場面を凝縮したような密度が高い作品ばかりだと思います。ただ、突飛に話がワープしたりするので、読解力の低い私などには少々難解でした(何度も冒頭としめくくりを読み返したりとか）。この作品を静かに楽しめるような年のとり方ができれば、女性としては本望でしょう。(男性読者には少々つまらないかもしれません）表題｢イラクサ｣、そして最後の｢熊が山を越えてやってきた」などは心響くものがあります。行間の小さな谷間を越えるといきなり時系列がとんでもなくぶっ飛んでいたりして、とまどうこともあるのだけれど、慣れてくるとそのリズムが妙に心地よくなってきたりする。男と女の関係の機微について書かれた短篇が９篇収録されている。けっこう大胆なことをする人たちだが、筆者の手にかかると突飛さは感じられず文章の中にやさしくなじんでいる感じだ。寡作・短篇しか書かない・女流作家･･･というところからグレイス・ペイリーを思い出した。ペイリーほどではないにしろ、けっこう特殊な文章だ。ひとつの文が長く、主語にあたる要素が最後の最後まで出てこなかったり、「−（ダッシュ）」で文章をどんどんつなげていきながら、別の内容に展開されていくなど癖があると思う。
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<title>千年の祈り (Shinchosha CREST BOOKS)</title>
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<dc:date>2008-12-02T02:46:27+09:00</dc:date>
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<description>この「新潮クレストブックス」は装丁がきれいで好きなんですが、
中身も伴っているところがとても良いですね。編集者の思いを感じます。

筆者のイーユン・リーはこれがデビューですが、この作品で数々の賞をと...</description>
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この「新潮クレストブックス」は装丁がきれいで好きなんですが、
中身も伴っているところがとても良いですね。編集者の思いを感じます。

筆者のイーユン・リーはこれがデビューですが、この作品で数々の賞をとりました。
中国生まれ・中国育ちの中国人ですが、北京大学を卒業後アメリカの大学院で
免疫学を修めます。その後に創作科の修士課程に進んだという稀有な経歴の持ち主です。

そのためか、この作品は中国が舞台の短編集ですが英語で書いたのだそうです。
それは英語という新しい言語が彼女に「言葉」を与えたから。なんとなく、わかる気がします。

わたしも日本語のほうが語彙もあるし表現力もあるし親しんでいるけれど、
英語のほうが感情を表に出せる気がします。「英語」の力なのか、「第二言語」の力なのか、
それを学んだ背景や時期、受けた影響なのかはわかりませんがどれもあるんだと思います。

わたしは中国人作家の本はユン・チアン著の「ワイルド・スワン」しか読んだ事が
ないけれど、彼女も英国留学をしていて（たぶん）英語で書いています。
やっぱり、言語を表層とした文化的抑圧があるのかもしれません。

「千年の祈り」は、主に中国の貧しい地方や農村や人々を題材にした物語から
なっていて、「好女人（よき妻）」みたいなふるい価値観が軸になっていたりするのに
ところどころに「アメリカ留学を果たした自慢の息子」や、「ゲイ」といった時代を
うつしたり衝撃的だったりする思考が登場します。短いながらひとつひとつ丁寧に
言葉を選んだ小説で、心をつかまれます。登場人物への感情移入はないのに、
こういうのはとても不思議な感覚。翻訳も、中日ではなく英日なのに、いい訳でした。祖国中国を離れてアメリカ・カリフォルニア州で暮らし活躍する新進女流文学作家イーユン・リーの各賞を獲得し絶賛を浴びたデビュー短編集です。本書に収録された10編は、著者が故郷を離れて渡米した後に母国語ではなく英語を使って書かれています。こうした作品成立の経緯は、自由の国アメリカから眺めた祖国という視点を彼女に与え、独自の世界を構築し成功に繋がったと思います。しかし反面（勿論無理もないのですが）距離を置いた事で、抗い難い運命を容認せざるを得ない諦念が浮き彫りになる印象の物も幾つかあります。『あまりもの』では、不遇な老女の噛み締めるような人生のささやかな喜びの断片が『不滅』では、独裁者の影武者的人物がたどる運命の変転を通して、中国の連綿と続いていく終わらない悲劇が描かれています。『死を正しく語るには』は悲運に見舞われた男の姿を嘆くのではなくユーモアを持って明るく見つめ、人生の終焉に際して敬意を表します。『柿たち』は体制に怒りを感じて17人の役人を殺し死刑宣告された男の是非を皆で論じます。表題作『千年の祈り』は、中国からアメリカ渡った娘の離婚を知った父親が、遥々訪ねて来て安否を気遣い、同時に過去の不仲を解消しようとする話です。父親には隠さねばならない秘密があり、結局娘との心の溝は埋められませんが、ふと知り合った言葉の通じないイラン人婦人と心を通わせます。この作品を読んで、テーマが見知らぬ異国の人との間でも心が通い合う奇跡にあるとは思いつつも、父娘の確執の問題で、もう一歩踏み込んでプライドを捨てて思い切って一切をさらけ出したら違った結果になっただろうにと残念で心残りを感じました。1972年生れでまだ30代半ばと若い著者ですから、そこは人間的に成長途上の段階にあると考えて、これから生み出される作品が今の境地を更に突き抜けて真の感動を与えてくれる物となる事を期待したいと思います。千年の祈りは、中国北京生まれの作者が、英語で書いた短編集である。

文体はコンパクトにして、つややか。なまめかしいと思えば、乾いている。女性にしか書けない、表現が多く感心した。
また、場面転換が非常にうまいとおもう。「あまりもの」での、婚約から、結婚式までの流れ。生活が一変してテレビのサイズが大きくなったら、逆に執着しなくなったという表現。始まりと終わりでのお弁当箱の使い方など、若い作家とは思えない巧みな書き方である。

天安門事件当時の中国で成長した人間にしか描けない、さりげない心理・背景描写がすばらしい。不幸を起こした相手を糾弾するのではなく、ただ受け入れざるを得ない状況を淡々と書いているところも、よけいリアルに感じる。
また、折々に不思議なユーモア感があるのも、楽しめる。

中国の庶民が時代の急激な変化の中で、どう対処してきたのか、もっと作品を発表してくれることを願いたい。

なお、このクレスト・ブックスのシリーズは装丁が丁寧で、あたかも活版印刷の時代のよい本のような造りであり、読んでいる間も本が大切な時代のことを思い出させる。ぜひ、カバーを外して見ていただきたい。素晴らしい短編集です。これが処女作とは思えない完成度の作品です。 
内容は、現代中国を舞台にした十人の主人公たちの人生の一片を切り取ったものです。しかし、その一片は、主人公の人生全体を見事に写し取った内容になっています。 
十編のどの作品をとっても素晴らしいのですが、個人的には、冒頭の「あまりもの」と「市場の約束」が気に入りました。 
「あまりもの」は、縁づくこともなく年老いた林ばあさんの話で、私立学校の雑役婦をしていて、その生徒に初めて淡い恋心を抱くという作品です。 
「市場の約束」は、アメリカに恋人を留学させるために偽装結婚をさせてやり、いつまでも一人でいる三三の話です。恋人が離婚して帰ってきて、縁談がわきあがるのですが、三三は頑なに断ります。自分の決め事をしっかり守ること、それが「人生の約束」で、同じ考えの相手をついに見つけるところで終わります。 
十編が十編とも明るい物語ではありません。でも、最後の一言で救われる、そんな物語の連続です。そんな短編集です。本書には１０篇の短編が収録されている。一読して感じるのは中国という頑固な国の異質な文化である。閉鎖的で、抑圧の多い束縛された世界。古い慣習にとらわれ、新しいことを忌み嫌う世代間の確執。ぼくなど、これなら動物園の檻の中のほうがマシじゃないかと何度も思った。当たり前だが、そんな世界でも人と人は干渉しあってお互いを思いやり寄り添って営みを続けていく。自分の生きる世界を受け入れて、それに流されて生きる者と束縛を怖れ自由に羽ばたこうとする者。それは自然、世代間の確執となって浮上してくる。生まれた国が悪かったと呪っても状況は変わらない。だから自由の国アメリカがとても光り輝いて見えるのだろう。
印象に残ったのは「市場の約束」のなんとも形容しがたいラスト。ここで描かれるのは、いつまでも結婚しない娘と母親との関係なのだが、男の肩をナイフで切り裂く行為がとても官能的だった。「息子」では母親と息子の確執が描かれる。これはそのまま日本に置き換えても通用しそうな作品。「あまりもの」や「縁組」で描かれる世代を超えた恋愛も新鮮だった。これは日本ではちょっと考えられない。「死を正しく語るには」は、どことなくユーモアの漂う作品。文化大革命は、様々な影をこの広大な国家におとしている。「柿たち」は予想もつかない展開に翻弄されてしまった。まさか大量殺人が出てくるとは思わなかった。状況が徐々にあかされていく構成が秀逸。表題作でもある「千年の祈り」は父と娘の確執が描かれている。アメリカに渡った娘を訪ねていく父。父の存在を疎ましく思う娘。後で気づいても遅いという真実が痛いほど染み込んでくる作品だった。ざっと印象に残った作品について言及したが、実際のところぼくはまだこの作家の本質がつかめていないと思っている。印象深い短編集だったが、心にまでは響かなかった。良い作品だとは思うのだが、いまいち心に浸透するものがなかった。これからの作品で見極めよう。
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